ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領の最側近であり、政権の「事実上のナンバー2」と目されてきたアンドリー・イェルマーク大統領府長官が辞任を表明した。これは、同国の汚職対策機関によるイェルマーク氏の自宅への家宅捜索が行われた数時間後のことであり、ゼレンスキー政権にとって極めて重大な局面での人事刷新となる。
汚職疑惑と内政の動揺
事態の発端は、ウクライナ国立汚職対策局(NABU)および汚職対策検察(SAP)による、イェルマーク氏のキーウ市内の自宅アパートへの強制捜査である。両機関は、エネルギー部門における巨額の横領疑惑(約1億ドル規模とされる)について捜査を進めており、すでに閣僚数名の解任や、ゼレンスキー氏の旧友である実業家の国外逃亡といった事態に発展していた。
イェルマーク氏自身への具体的な容疑内容は明らかにされておらず、同氏は「全面的に捜査に協力する」との姿勢を示している。しかし、ロシア軍の攻撃により電力インフラが破壊され、国民が厳しい冬と停電に耐える中でのエネルギー関連の汚職疑惑は、国民の激しい怒りを買っていたようだ。世論調査では70%が同氏の辞任を求めていたとも報じられており、ゼレンスキー大統領は「内政の刷新」を掲げ、事実上の更迭に踏み切ったとの見方もできる。
[cite_start]なお、ウクライナはかねてより極めて深刻な腐敗が問題となっており、トランスパーレンシーインターナショナルによるいわゆる「汚職指数」において、ウクライナは世界190か国中で105番目に汚職が少ない国とされており、これは世界平均を大きく下回る状況である[cite: 1]。
和平交渉への影響とトランプ政権
この辞任劇は、ウクライナにとって外交上もっとも繊細な時期に発生した。米国では内向きかつ親ロシア的との指摘の強いドナルド・トランプ氏が大統領に返り咲いており、かねてより戦争の終結のためにウクライナに妥協を迫っていた同政権はロシア・ウクライナ戦争の終結に向けた新たな「和平案」を提示している。
この和平案は、ウクライナに対して領土の割譲やNATO(北大西洋条約機構)加盟の断念を求めるなど、ロシア側の要求に寄った内容であるとされ、ウクライナ側は強く反発していた。しかし、ウクライナ側も戦況において決して優位とは言えない状況が続いており、ある程度の譲歩はやむなしとの意見もウクライナ国民の間で一定の支持を集めている。
イェルマーク氏は対米交渉の責任者を務めており、ジュネーブでの協議を通じて、米国側に案の修正を働きかけていた矢先であった。近日中に米国のダン・ドリスコル陸軍長官のキーウ訪問や、ロシア側との協議も予定されている中での司令塔不在は、ウクライナの交渉力を著しく低下させる懸念がある。
ロシアの反応と今後の展望
ロシアのプーチン大統領は、ハンガリーのオルバン首相を通じたトランプ氏との会談を支持するなど、外交攻勢を強めている。プーチン氏は、ウクライナ軍が東部ドンバス地方から完全に撤退しない限り戦闘は終わらないと断言しており、強硬姿勢を崩していない。クレムリン(ロシア大統領府)は、今回のスキャンダルによるウクライナの政治的混乱を好機と捉えていることは想像に難くない。また、ウクライナと和平案の交渉を行っているアメリカ側にとっても、今回のスキャンダルを利用してウクライナ側の譲歩を迫る可能性があるだろう。
ゼレンスキー大統領は後任の人選を急いでいるが、長年苦楽を共にした「右腕」の喪失は、政権の求心力低下を招く恐れがある。欧州連合(EU)加盟に向けた必須条件である「汚職撲滅」への本気度が試される一方で、対ロシア、対米国の外交交渉において、ウクライナが国益を守り抜けるか、予断を許さない状況が続くだろう。